先週末の日曜日、大野市で鎌仲ひとみ監督「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会と「大野から見た若狭・福島」シンポジウムがありました。
実行委員の一人として、大勢の方に来場いただき感謝いたします。
ありがとうございました。
映画の方はいろんな感想があったように思います。
どうして原発建設に反対するのかという問いに、「生活の場を守るため」という答えが印象的。
若い世代が生まれる前から続く運動に、ただただ頭が下がる。
しかしどうして続けられたのだろう?という疑問。
などなど。
一方のシンポジウムでは多方面に広がる議論があったものの、一番印象に残ったのは
「希釈」
という言葉。
原発をやめて新エネルギーにシフトするにせよ、その負担は電気料金として国民に負担が寄せられる。
福島原発事故の責任問題から東電が案分するはずが、国が支援するという形でやはり国民に負担が求められる。
始めたところが最後まで面倒みるのでなく、困ったときには国民負担という形で逃げに走る。
発言した民俗学者で敦賀短大講師の金田久璋氏は、「日本の民主主義のいいところなのか悪いところなのかわかりませんが、結局、国民にしわ寄せがくる。大本は責任を取らない」と述べていたのが深くしみわたりました。
電力の何がズルいって、こういうところがズルくて、安全・安心を掲げていても、何か起こったらケツまくって逃げる。
そういう会社にエネルギーの一翼を付託しているところに、日本の電力の問題点ではと思いました。
福石みん記す
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